
【青汁の常識が変わる】元コンサルが語る「まずい」の先にある物語
「まずい」。
多くの人が青汁に対して、そんな印象を抱いているかもしれません。
しかし、その一言で片付けてしまうには、あまりにもったいない深い物語が、その一杯の緑には溶け込んでいるのです。
こんにちは。
青汁専門の文筆家、葉山 湊(はやま みなと)と申します。
意外に思われるかもしれませんが、私は元々、外資系のコンサルティングファームで働いていました。
ロジックとデータが全ての過酷な世界で身を粉にしていた私が、なぜ今、青汁の物語を紡いでいるのか。
そのきっかけは、35歳で体を壊し休職していた時に見つけた、一冊の古い日記でした。
それは、戦後の食糧難の時代を生きた祖父が遺した、家族の命を繋いだ「命の汁」の記録。
この記事では、単なる健康飲料ではない、青汁の本当の価値をお伝えします。
読み終える頃には、あなたの青汁に対する見方が180度変わることをお約束します。
Contents
なぜ私たちは青汁を「まずい」と感じてしまうのか?
多くの人が青汁に対して抱く「まずい」という感覚。
それは決して気のせいではありません。
そこには、科学的、そして歴史的な背景が深く関わっています。
元コンサルが分析する「まずさ」の科学的・歴史的背景
青汁の「まずさ」の主な原因は、主原料として古くから使われてきた「ケール」という野菜にあります。
ケールには、その強い生命力ゆえの特有の苦味や青臭さがあり、これが私たちの味覚を刺激するのです。
しかし、興味深いことに、この苦味成分こそが、私たちの体を守る抗酸化物質などの栄養素の源泉でもあります。
そもそも青汁は、美味しい飲み物として生まれたわけではありませんでした。
その歴史は、戦後の食糧難の時代にまで遡ります。
食べるものがなく、多くの人が栄養失調に苦しむ中、医学博士であった遠藤仁郎氏が、廃棄されていた大根の葉などをすり潰し、栄養補給のために活用したのが始まりです。
まさに、生きるための「命の汁」でした。
データでは語れない「まずさ=生命力」という方程式
独立当初、私はコンサルタント時代の癖で、青汁の良さを成分やデータだけで伝えようとしていました。
「この青汁にはこれだけのビタミンが含まれていて…」と。
しかし、読者の反応は驚くほど薄かったのです。
「データだけでは、人の心は動かせない」。
そう痛感していたある日、取材で訪れた農家の方に言われた一言が、私の価値観を根底から覆しました。
「湊さん、この一杯にはな、ワシらの汗と土の匂いが詰まっとるんじゃ。まずいかもしれんが、これが生きとるっちゅう味なんよ」
その言葉に、ハッとさせられました。
私が伝えなければならないのは、数字の裏にある物語。
「まずさ」とは、生命力そのものの味なのだと、その時ようやく気づいたのです。
「まずい」の壁を越えた先にある、一杯の物語
青汁が「まずい」と感じるのは、私たちがその表面的な味しか見ていないからかもしれません。
その苦味の奥には、人々の愛や祈り、そして土地の記憶が幾重にも重なっています。
祖父の日記が教えてくれた「命の汁」としての青汁
私が青汁の世界にのめり込む直接のきっかけとなった、祖父の日記についてお話しさせてください。
休職し、心身ともに疲れ果てていたある日、実家の蔵で偶然見つけたその日記には、戦後の混乱期、祖父が庭で育てたケールを毎日すり潰し、幼い子どもたち(私の父を含む)に飲ませていた様子が克明に記されていました。
「本日も青汁にて飢えを凌ぐ。子らの頬に赤みが差す。この苦味こそ、命の味なり」
その一文を読んだ時、涙が止まりませんでした。
祖父にとってその一杯は、単なる栄養補給ではありません。
それは、家族の命を繋ぐための祈りであり、愛そのものだったのです。
私たちが今、当たり前のように手に取る青汁のルーツには、こうした切実な物語があった。
その事実に、私は打ちのめされると同時に、強い使命感を抱きました。
全国の生産者を訪ねて見えた、土と人の哲学
その日から、私はコンサルタントとして培ったリサーチ能力を活かし、全国の青汁生産者を訪ね歩く「現代の青汁探訪」を開始しました。
そこで出会ったのは、データや成分表だけでは決して分からない、土と人との対話から生まれる哲学でした。
例えば、九州で大麦若葉を育てるある生産者は、一切の農薬を使いません。
「虫に食われる分は、彼らの分前。私たちは、自然から少しだけ分けてもらっとるだけ」と、彼は笑います。
彼の畑で育った大麦若葉で作られた青汁は、驚くほど澄んだ、優しい味がしました。
一杯の青汁は、決して工場だけで作られるものではありません。
太陽の光、雨水、そして生産者の汗と哲学。
そのすべてが溶け込んで、初めて「本物の一杯」が生まれるのです。
それはもはや、日本の土と人が紡いできた、一つの文化遺産だと私は考えています。
【実践編】あなただけの「青汁物語」を見つけるための羅針盤
ここまで読んでくださったあなたは、きっと青汁の向こう側にある物語に、少しだけ興味を持ってくださったのではないでしょうか。
ここでは、あなたが自分だけの「青汁物語」と出会うための、具体的な羅針盤をお渡しします。
成分表だけでは分からない「本物」を見抜く3つの視点
スーパーやドラッグストアには、無数の青汁が並んでいます。
その中から、心から信頼できる一杯を見つけるために、ぜひ以下の3つの視点を持ってみてください。
- 主原料で選ぶ(誰の物語を飲みたいか?)
青汁の個性は、主原料によって大きく変わります。- ケール: 「野菜の王様」。栄養価は抜群で、力強い生命力を感じたい方に。まさに青汁の原点の味です。
- 大麦若葉: クセが少なく抹茶のような風味。食物繊維が豊富で、日々のスッキリを求める方におすすめです。
- 明日葉: 日本原産の生命力溢れる植物。特有の成分「カルコン」を含み、巡りを意識する方に人気です。
- 製法で選ぶ(どんな想いが込められているか?)
同じ原料でも、製法によって味や栄養は大きく変わります。
例えば、熱を加えずに生の葉をそのまま搾る「生葉搾り製法」は、手間がかかりますが、栄養素や酵素を壊しにくいと言われています。
製法へのこだわりは、生産者の想いの表れです。 - 添加物の有無で選ぶ(何を足して、何を引くか?)
飲みやすさのために甘味料や香料が加えられているものもありますが、私はできるだけシンプルな、原料そのものの味がする青汁をおすすめしています。
「何も足さない」という選択は、素材への絶対的な自信の証でもあるのです。
まずは「美味しい」と感じる一杯から始めよう
ここまで「まずさ」の奥深さについて語ってきましたが、決して無理に苦いものを飲む必要はありません。
最近では、抹茶風味やフルーツ風味で美味しく飲める青汁や、乳酸菌や酵素が配合されたものなど、素晴らしい商品がたくさんあります。
そうした「美味しい青汁」は、あなたの物語の素晴らしいプロローグ(序章)になってくれるはずです。
大切なのは、義務感ではなく、楽しみながら続けること。
その先に、きっとあなただけの一杯との出会いが待っています。
一杯の緑を、人生のパートナーにするために
青汁は、ただ飲むだけのものではありません。
少し視点を変えるだけで、私たちの日常を豊かに彩る、最高のパートナーになってくれます。
私が実践する「青汁ハイボール」とその魅力
これは私の密かな楽しみなのですが、週末、自分で育てたケールで作った青汁を、ウイスキーと炭酸で割って「青汁ハイボール」にして飲むのが習慣です。
爽やかな苦味がウイスキーの香りを引き立て、驚くほど美味しいのです。
近所の飲み屋に持ち込んで振る舞うと、最初は怪訝な顔をしていた友人たちも、今ではすっかり虜になっています。
健康のため「だけ」に飲むのではなく、日常の愉しみとして取り入れる。
そんな自由な付き合い方が、青汁との関係を長続きさせるコツかもしれません。
罪悪感をリセットする一杯から、未来を創る一杯へ
私自身、甘いものが大好きで、取材先で出されたお茶菓子をつい食べ過ぎてしまうことがあります。
そんな時、帰宅して飲む一杯の青汁は、罪悪感をリセットしてくれる「守り」の一杯です。
しかし、青汁との付き合いが深まるにつれて、その役割は少しずつ変わってきました。
朝、今日一日のパフォーマンスを上げるために飲む。
仕事で行き詰まった時、思考をクリアにするために飲む。
それは、過去の罪悪感をリセットする「守り」の一杯から、自分の心と体を整え、未来を創るための「攻め」の一杯へと変わっていきました。
この一杯が、私の思考を、そして人生を支えてくれている。
今、私は心からそう感じています。
まとめ
「まずい」という一言から始まった青汁の探求の旅。
その道のりを、少しだけ一緒に歩んでいただきました。
最後に、この記事の要点を振り返ってみましょう。
- 青汁の「まずさ」は、ケールなどに含まれる生命力の証であり、栄養の源泉である。
- そのルーツは、戦後の食糧難を救った「命の汁」という、愛と歴史の物語にある。
- 一杯の青汁には、生産者の汗と土の匂い、そして哲学が溶け込んでいる。
- 原料や製法を知ることで、自分だけの「物語」を持つ一杯と出会うことができる。
- 青汁は義務ではなく、日常を豊かにするパートナーになり得る。
「まずい」という言葉は、青汁が持つ壮大な物語の、ほんの入り口に過ぎません。
その扉を開けた先には、あなたの知らない、豊かで奥深い世界が広がっています。
さあ、次はあなたの番です。
あなただけの「青汁物語」を探す旅に、出かけてみませんか?
最終更新日 2025年9月24日 by alaala